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命に、名付ける

ようちゃんを妊娠したときも、

えいたんを妊娠したときも、

性別は生まれてきてくれるまで聞かないことにしていました。


大した理由はないのですが、
ようちゃんを妊娠したときに、親戚のおばさんに

「産まれてくるまで聞かんとおきなさい」

と言われたから。

それで、どの子のときも、そうしてきました。





どんな子が生まれてくるだろうか。

性別はどっちだろうか。

愛おしく、お腹にいる我が子に思いを馳せました。



ただ、少しだけ困ったことがありまして。

性別がわからないと、名前をなかなか具体的に考えることが出来ないのです。


私たち夫婦は、名前を考えるにあたって、

漢字に思いを込めたい

響き(読み)を大切にしたい

という思いを持っていました。


さらに、在日韓国人である主人は、親の意見も尊重したいと考えていました。

そして当の義父母も、妊娠中からあれやこれやと漢字の意味を調べては、候補を考えてくれていました。


だけど、最終的には、産まれてきた赤ん坊の顔を見ないことには名前など決められるものではない、という義父の思いもあり、
ようちゃんの時もえいたんの時も、産まれてから出生届の期日ギリギリまで、悩んで悩んでの名付けでした。


特にようちゃんのときなんて、初孫ということもあり、義父母にとどまらず、多くの親戚が顔を見に来て、みんなで名付け会議をしたのが懐かしい思い出です。


そんな風に、我が子に名付けをしてきた私たち。


さすがに3人目ともなると、上2人の育児に追われる毎日で、名前についてほとんど候補も上がらないまま出産を迎えました。

(ちなみにようちゃんのときは胎児ネームなんてのもつけていましたが、下2人にはそれもありませんでした…)




そして、産まれた。


3人目も女の子だった。


青ざめて、泣かない、弱々しい三女。


おそらく、その場に居合わせた医療スタッフのすべてが、すぐに赤ちゃんの様子がおかしいと感じていたでしょうが、取り上げてくれた助産師さんは明るく、

「mayuさーん、どっちや、どっちと思う~。女の子やで~」

と私と主人のほうに赤ん坊のお股を見せてくれたのを覚えています。






それきり。


大学病院では、NICUは親と祖父母の面会しか許可されておらず、さらに祖父母には時間や人数に制約がありました。

出産に駆けつけてくれていた義父母は、搬送される救急車に乗り込むまでの通路で、一瞬赤ちゃんの顔を見れただけでした。



ようちゃんとえいたんのときとは違う。

両親以外には顔も見てもらえない。

三女は孤独の中で、必死に生きようとしていました。



私たち夫婦は、なかなか名前をつけられずにいました。

この先、どうなるかわからない我が子に、

しかも、夫婦2人だけで、

どうやって名前をつけてあげればいいのかわかりませんでした。


だけど主治医には、そんな状況だからこそ、早く名前をつけてあげてと言われました。

名前を呼んであげることが、生きる力につながるんだと思います。

主人と私も、このまま名付けられることなく命が終わってしまってはあまりにかわいそうだと思い、出来るだけ早く名前をつけようと考えました。

義父にも、
「2人がしっかり子どもの顔を見て名前をつけてあげたらいい」
と言われました。




三女の名前は、私がつけました。

母親である私が名前をつけたのは、3人目にして初めてのことでした。


みーさんの「み」は、


「未」



人間には完成がなく、どこまでも広がる未来や、限りない可能性が溢れている、という思いを込めて、名付けました。


不思議と、今までにないほどの、命への愛情を強く感じました。


命に名付ける、重み。



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我が子の、消えそうな命の灯

新生児仮死で産まれてきた我が子。


出産後すぐに救命処置を受け、その後、医師からの説明で聞かされた病名は、

「新生児遷延性肺高血圧症」。

それに加え、おそらく肺が器質的にも機能的にも未熟な状態であるだろうと言われました。

産まれてすぐに挿管されて人工呼吸器管理となっており、さらに搬送するだけでも危険が伴う状態であるとのこと。

しかし、ここでは必要な治療ができないため、大学病院へ搬送されることになりました。



大学病院のNICUに入院となり、高濃度酸素(100%)を使用し、人工呼吸器も、高頻度振動型人工呼吸器(HFO)という、特殊な呼吸器を使用することになりました。

さらに、それだけでは不十分であったため、肺の動脈をより拡張し、肺高血圧を軽減するために、数日後には一酸化窒素ガス(NO)の使用も始まりました。



産まれた直後から母親と離れ、24時間絶対安静、鎮静されて治療を受ける我が子。

出産当日は私も体が落ち着いてから大学病院へ面会と説明を受けに行き、出産した病院へ戻りました。


今、私たち家族に何が起こっているのか。

どうして我が子がこんな状態で産まれてきたのか。

我が子の命はどうなるのだろうか。

妊娠中、特に何も言われなかったのにどうして…

何もわからない中で、心がざわめき、体は休まらず、ひたすらネットで「新生児遷延性肺高血圧症」という言葉を検索し続けました。


妊娠中、担当してくれていた医師には、

「ネットには色々なことが書かれてあるだろうし、携帯を見つめてばかりいては体が休まらないから、今はとにかく自分の体を休めて」

と言われましたが、どうしたって、不安で不安で心が押しつぶされそうで、とにかくネットで調べ続けていました。

ネットには「予後不良」の文字ばかりが並んでいました。



一晩経ち、明け方ふと目が覚めました。

するとちょうど主人からの電話。

赤ちゃんが危ない状態だと大学病院から連絡があったとのこと。

帰宅していた主人がすぐに迎えに来てくれて、大学病院へと向かいました。

二人とも静かに泣きながら、急いで車を走らせました。



産まれて数日は、病状がとても不安定で、肺高血圧症に加え気胸も起こしており、何回も危ない状態になりました。

出産した病院の医師の配慮で、赤ちゃんにすぐ面会できるよう、産後一週間後の退院を待たず、私も大学病院へ転院することになりました。



我が子が産まれてから2週間は、本当にいつどうなるかわからない状態が続きました。

主人はしばらく仕事を休ませてもらい、病院の家族室に主人と2人で数日間泊まりました。

不安で押し潰されそうな時間が続きました。

主人と、赤ちゃんのお葬式って、どうしたらいいんだろうと話し合いました。

まさか自分の人生において、産まれたばかりの我が子の葬式について考える日が来るなんて…

これほど恐ろしく、つらく、悲しいことは私の人生で初めてでした。


夫婦でこんなに泣いたことはありません。

泣きながら、手をつないで眠りにつきました。

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3人目の妊娠~出産

2014年2月。

長女が3歳になった頃、小学校に上がるまでにはマイホームを持ちたいなぁと考えていた私たち夫婦。


なんとなくで、物件巡りを始めました。

建て売りでもいいけど、どうせだったら注文住宅に憧れるなぁ。

注文住宅となると、1年近く時間もかかるだろうなぁ。

なんて、漠然と考えていました。



しかし、そのときはすぐに訪れました。


建て売り物件でとても素敵なおうちに出会ったのです。



そしてちょうど同じ頃、3人目の妊娠がわかりました。

家族が増えるということもあり、念願のマイホームを持つことになったのです。


新しい我が家での生活が始まり、
長女の幼稚園生活が始まり、
慌ただしくも楽しい毎日が過ぎていきました。

だんだん大きくなる私のお腹を見ては、ようちゃんえいたんも赤ちゃんを心待ちにしてくれていて、
呼びかけたり、お腹にクリームを塗ってくれたりしていました。

しかし妊婦とはいえ、上2人もまだ3歳、2歳と幼く、抱っこもすればおんぶもする。

自転車だって乗り回していました。

生活の中心はもちろん2人の娘であり、自分が妊婦であることも忘れるほどの生活ぶりでした。


妊娠も3回目ともなれば、さすがに特に何があることもないだろうと考えていました。

胎動が少し少ない気がする…

きっと上2人の世話で頭が一杯で、気づいていないだけなんだ。


私の体重が5、6kgしか増えてない…

太らずに済んでラッキーじゃない。


赤ちゃん自身もちょっと小さい…

先生が「産まれてからおっぱいで大きくしたらいい」って言ってるし。


万が一のことがあったらどうしようと心配する主人。

だけど、少し小さめと言われているだけで、他に指摘されることもなかったので、大丈夫だろうと思っていたのです。



39週に入り、明け方、陣痛は自然にやってきました。

主人、娘2人、家族みんなで病院へ向かいました。

長女のときも次女のときもお世話になった病院。

偶然にも長女を取り上げてくれた助産師さんが、今回も取り上げてくださることに。

信頼できる助産師さんということもあり、安心してお産に臨めました。


また、毎回主人立ち会いで出産に臨んでいたのですが、今回は娘2人にも産まれる瞬間に立ち会ってもらいたい。

そんな希望を持っていたのですが、

「分娩mayuさんだけやし、いいで~」

と快諾して頂き、娘2人も分娩室に入れてもらうことができました。


最初は分娩台の頭元にいた2人。

だけどお産が進むにつれ、うろちょろ。

ついには私が必死でいきむ中、娘2人は足元を陣取り、まさに産まれる瞬間を、がっつりと見届けてくれたのです。




もともと安産タイプだった私。

3人目ともなると、本当にあっという間でした。

主人、娘2人が見守る中、赤ちゃんは産まれてきてくれました。









泣かない。

ぴくりとも言わない。


だけど、それでもまだ事の重大さに気づいてはいなかった。

長女のときもそうだったから。

泣かなくて、すごく心配で、

でも助産師さんが、

「ちょっとNICUに修行に行ってこようか~。大丈夫やしね~、お母さん」

なんて言いながら処置するためにNICUに連れて行ったけど、大したことなかったから。



処置をして、しばらくしたら説明にきます、と行って、赤ちゃんと先生はNICUへと向かった。

きっと、また同じような感じで、しばらくしたら面会できると思っていた。


だけど、先生はなかなか戻ってきませんでした。



2時間以上が過ぎて、やっと先生が戻ってこられ、赤ちゃんに面会しながら説明を受けました。

肺の機能が未熟であること。

ここでは必要な治療が出来ないので、大学病院に搬送が必要であること。

予後は、おそらくかなり厳しい状態であるということ。


後で振り返れば、たぶんこのような内容の説明だったと思います。

だけど、出産直後の私には、それが全くと言っていいほど理解できていませんでした。

主人だけが現実の厳しい状況を理解し、絶望していました。



産まれて数時間で、赤ちゃんは大学病院へ搬送され、私は1人、出産した病院に取り残されることになったのです…


ここから、長い長い入院生活の始まりでした。

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新たな気持ちで

mayuです。


このブログを置き去りにしたまま、気づけば2年近くも経とうとしています。

以前は何を書いてたんだったっけな?ってくらい、時間が経ってしまいました。

子供が産まれてから趣味となったハンドメイドのことをすこーし、そして娘たちのことを中心に綴っていましたが、また仕切り直して、新たな気持ちでこのブログと向き合っていけたらなと思っています。

というのも、ここの更新をストップしている間に、本当に生活が、人生が、大きく変わってしまったのです。




2014年10月、主人、長女、次女が見守る中、三女が産まれました。

みんなが待ちに待っていた赤ちゃん。

だけど三女は、わずかの産声もあげることもなく、仮死状態で産まれてきました。

すぐに集中治療室に連れて行かれるも、ここでは必要な治療ができないと大学病院に搬送されました。

そこから、三女の長い長い入院生活が始まったのです。




現在、三女のみーは1歳10ヶ月。

1年1ヶ月という長い入院生活を経て、今はおうちでの生活を楽しんでいます。


これからは、ここでよう、えい、みー3人の愛する娘の成長を綴り、またこのブログを通して同じ在宅で楽しく頑張っている方と繋がれたらうれしいなと思っています。

みーの病気のこと、産まれてから今までのことも、覚えている範囲で書いていきたいと思っています。

のんびりですが、よろしくお願いします。


mayu

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長袖パジャマ

ここ最近、全くミシンさわれてませんでした。

昼は子どもの外遊びに付き合い、夜は寝かしつけで私も一緒にそのままダウン…



出産も近づいてきて、あんまりしんどいので、先週、先々週と土日は旦那さんが娘2人を連れて自分の実家に泊まりに行ってくれてました!

旦那さんありがとう!
そして、散々遊んで子守してくださったお義父さんとお義母さんありがとう!



せっかく頂いた1人時間、休養もしつつ久しぶりのミシンさせてもらいました。





で、まずは取り急ぎ必要だったパジャマを作製(^^;;


長袖パジャマ、かなりサイズアウト気味で、ようちゃんなんかそろそろ身長100cmになろうというのに、いつまでも90とか80サイズを着せたいた私。。。
(袖も丈も七分どころじゃない!)



pattern:muni ラグランTシャツ 90&100
Rick Rack ベビースパッツ 90

fabric:身頃 布地・服地のマツケ スムースニット アメリカンコミック ピンク系&グレー系
袖 スムースニット ピンク&薄紫(在庫布)
ズボン スムースニット 赤&紫(在庫布)



上着は言わずと知れたmuniさんの無料パターン。
お世話になってます。

袖をリブにアレンジしてみました。



ズボンはようちゃんサイズはパターン持ってなかったので、ベビースパッツ90を、丈は8cm伸ばし、股上も1cmプラスして、さらに縫い代1cmのところ、ほぼカットせずにロックで処理。

ようちゃんは細め体型なので、この方法でサイズ大丈夫でした^_^



前印に赤と黒のリボンを。


これ、2歳児3歳児には必須ですね!


ただ、ひとつ残念なのは、紫の無地ニットにぴったり合う色の糸がなく、めちゃめちゃ目立ってしまってますね…


まぁ着たらTシャツの裾で隠れるし、パジャマだし、娘用だし、これでよし!(笑)



たかがパジャマですが、一応着画。




うん、可愛いね♡

親バカです。



だけどだけど、もう一着ずつは必要だな~。

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